⁂MR職人の戯言⁂

お母さんは命懸けであなたを産みました・この世に産んでくれてありがとう・
親を愛し尊敬するする者は人を憎むことは無い・親を慕うものは、人を毛嫌いすることは無い・
命はたった一つのもの・数えてはいけない・      

<横綱・稀勢の里>

長い間応援してきたので<感無量>です・


昨年、<豪栄道>が初優勝した時に・・新聞の投稿で<稀勢の里>は、横綱を断念して<名大関・・魁皇2世>を。読んだ。


 多くのファンがいて今一歩・体系などもがよく似ている・・


悔しいけれど・・良く見てるな‥感心した記憶が蘇った。


 <優勝の内容>で一部<クレーム>が付いたようだが<無事名馬~年間最多勝>が、雑音を葬ったようだ・・


<日頃の行い>と言われるが・・大勢の人が見ていたようだ・



小生が、彼<萩原が関取り>になったころから注目していた。


 <茨城県牛久市出身>が、頭に残った・・


小生は、30年代前半の若輩でしたが・・昭和47年<牛久町・宮本町長>に直談判して<第3セクター方式>で、工業団地予定地(90万坪)の買収をきめた。


 残念ながら<オイルショック>に巻き込まれ<10数万坪>の買収で断念・・<県公社>に肩代わり・・<奥野工業団地>になった。


 亡くなった先代の<鳴門親方>は、二子山部屋に所属・・
二子山親方(初代・若乃花)は、花篭部屋(大ノ海)出身・どちらの部屋も<阿佐ヶ谷>にあった。


 小生の自宅には、若乃花の弟弟子(若椿~大の浦?)の奥さんたちが時々来ていた。


そのような縁で早くから<稀勢の里>の応援団になった。

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