⁂MR職人の戯言⁂

お母さんは命懸けであなたを産みました・この世に産んでくれてありがとう・
親を愛し尊敬するする者は人を憎むことは無い・親を慕うものは、人を毛嫌いすることは無い・
命はたった一つのもの・数えてはいけない・      

<父親の誕生日>

<父親の誕生日>
父親は1903年(明治36年10月21日)生まれです。
昭和31年5月11日に52歳で亡くなり、小生は15歳で戸主になりました
20歳頃(満鉄)に勤務していたころに結核になり・長期に入院したようだ。
(頭脳明晰・博識)だったが病弱で、週に2日ぐらいはゴロゴロしていた。
振り返ってみると(神経質で臆病)は病弱の影響だったのか・幼い小生を徹底的に鍛えたのは(己の寿命)を承知していたらしい。


青山の青南小学校では、伯父(村上敬夫と父親は稀代の優等生と言われていたようだ。
小学校6年生の時に父親の急死で(一中・一校・帝国大学)のコースに、進めなかったのが無念だったようだ。
本人は一言も口にしたことはなかったが?親族には小生兄弟が・その器でないので・がっかりしていたらしく愚痴をこぼしたことがあったそうだ。


(鳶が鷹を生む)という格言がるが、滅多に親を上回るのは難しいようだ。
今日まで頑張れば(長寿世界一の119歳)になれたのに・・TVやマスコミのインタビューも殺到したはずですが。

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