⁂MR職人の戯言⁂

お母さんは命懸けであなたを産みました・この世に産んでくれてありがとう・
親を愛し尊敬するする者は人を憎むことは無い・親を慕うものは、人を毛嫌いすることは無い・
命はたった一つのもの・数えてはいけない・      

<戦争の話を聴こう・・>



昨日集会所で<ふらっと>主催の会合がありました・・<戦争の話を聴こう・・> 
戦後70年余り<戦争体験者>が、少なくなり風化しつつあります。

終戦時4歳8か月の私は<戦争>の記憶は、ありません・・
母親の<実家・会津若松>に、母親と三兄弟は疎開していました・・

幸いにも阿佐ヶ谷の自宅は被害をまぬかれ・・年末に帰宅したそうです。

母親の弟~会津に残った叔母二人の兄<正二叔父さん>は、昭和18年<ガダルカナル>で戦死しました・・


叔父さんの多くの遺品が残されたままでしたが・・長らく<戦争の話>はタブーでした。


私は、30歳前後の頃から土地買収業務で地主さんのお宅訪問する機会が多くあり・・
自分の父親くらいの方が大半でしたので年がら年中<戦争の実体験~空襲~>聞かされたので、ずいぶん詳しくなりました・・

<戦争>は、人と人との殺し合いですから・・話を聞くたびに寒気がしたものです・・

終戦時中学生だった顔見知りの先輩が<体験談>を話された・・

石・さんは14歳で有名な中央線高尾駅資金の<湯の花トンネル列車銃撃遭難事件>に遭遇したそうです・・

戦闘機が何度も降下してきて列車を襲撃・・デッキにぶら下がって見たそうです・・
多くの犠牲者が出た中で運よく助かった・・

淡々と話をされましたが、書物で<湯の花事件>を読んだことがある私もあまりにもリアルな話に肝を冷やしました・・
乗車いていた車輌の位置が運命の分かれ目・・

<清・・さん>の話でも<防空壕に一族20人で避難>・・
終戦で軍隊に行けなくなって泣いた?<軍国少年教育・・>

戦後アメリカ人の同輩と<柔道の鍛錬>をした・・
いつの間にか消息を絶ったその人は<朝鮮戦争>で戦死した・・

現在の<イスラム国の戦闘員>と同じような教育を受けていたようだ・・


同年輩のご婦人たちも<戦争はこりごり・・>


私も自衛隊を海外に派遣して・・後方支援・・そろそろ犠牲者が出ないうちにやめてほしいと願っています。

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