⁂MR職人の戯言⁂

お母さんは命懸けであなたを産みました・この世に産んでくれてありがとう・
親を愛し尊敬するする者は人を憎むことは無い・親を慕うものは、人を毛嫌いすることは無い・
命はたった一つのもの・数えてはいけない・      

<角界余話>


朝日新聞の朝刊の記事から。。負けて微笑・屈辱隠すように
出羽ヶ嶽は、40代の若さで亡くなった。


出羽ヶ嶽文治郎は、山形県出身で斎藤茂吉の紹介で出羽の海部屋(名横綱・常陸山)に入門した。
小生の父親は青山の青南小学校の卒業生・当時は一番身長が高かったそうだ(成人してからは5尺7寸5分~175cm)


文次郎さんが6年生の時に転校してきて後ろの机・2つを占領した・・満鉄に勤務していた時に巡業で来た文ちゃんと再開したと話していた。
彼は6尺6寸・・2mくらいあったのでは・・自分より頭一つ大きかった・・


親父は中学入学直前に父親が急逝・知人の斎藤病院院長(茂吉の義父)の書生になり・一中を断念して工学院で学んで満鉄に就職したそうだ。

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