⁂MR職人の戯言⁂

お母さんは命懸けであなたを産みました・この世に産んでくれてありがとう・
親を愛し尊敬するする者は人を憎むことは無い・親を慕うものは、人を毛嫌いすることは無い・
命はたった一つのもの・数えてはいけない・      

<聖書の虫干し>

                            

 <次女がICU在学中に使用し...

       <1964年・大叔父(祖父の弟)からいただいた、2冊の聖書>


本棚を整理していたら、奥に埋蔵していた聖書にカビが生えていた。
<神様>、に叱られそうなので虫干ししています。


聖書は<東京オリンピック>開催中の頃、教会隣接の病院に入院中の小生を、見舞いに来られた<大叔父>からいただいた<旧約~新約>と<旧約>の2冊です。


開いてみるところどころに<赤鉛筆>でマークが入っている。
全く記憶がないので、どこで?教会? 分からない。


英文の教科書は次女が大学に通学中授業で使用したようだ。
本人は<無宗教>で、関心が無く(神様ご免なさい)卒業後は、手にしたこともないようだ。


何故か<讃美歌>は、20年くらい前に小生が購入したようだ?
色々記憶をさかのぼってみても、親族の葬儀の時以外は教会に行った記憶がないので不思議です。


母親の系統が<セブンスデイ>の信者だったので、春休み~夏休みには小生も母親に同行して教会に通っていた。


7歳の時牧師様が、講話の後<アーメン>信者の方も<アーメン>と唱和した直後小生が小声で<アーメン~ソーメン~冷ソーメン>と発した。
周りにいた数人が必死になって笑いをこらえた。


母親が<恥をかいた>と立腹して・・その事件後2度と教会に行くことがなくなった。


隣接の病院で父親は<痔~胃潰瘍の手術> 小生は<胃潰瘍の手術>で入院
大変世話になりました。  3人の子供たちも<産科で誕生>しました。


親族の大半も病院に世話になり <大叔父夫婦及び大叔母>達も長期入院~亡くなった。
<葬儀も>教会の主催でで行い、小生も小間使いで奔走しました。


1972年(昭和47年)大叔父の連れ合いが亡くなっ他のが最後で、教会や病院と<縁>が切れて、近くには何度も行きましたが残念ながら一度も立ち寄ったことがない。


八王子市内にも教会があり、後輩の牧師から何度か誘われましたが、聖書を遵守して<七日目に休む土曜日礼拝>なので、行きそびれています。

×

非ログインユーザーとして返信する