⁂MR職人の戯言⁂

お母さんは命懸けであなたを産みました・この世に産んでくれてありがとう・
親を愛し尊敬するする者は人を憎むことは無い・親を慕うものは、人を毛嫌いすることは無い・
命はたった一つのもの・数えてはいけない・      

<誰もケガはなかったか・・>

副総理格兼 国務大臣・ <河野 一郎~ こうの いちろう>は、元副総理・河野 洋平氏の父~河野 太郎代議士の祖父です。


 1963年7月、憂国道志会の野村秋介により自宅に放火される。


その日は名神高速道路の開通日で河野はその開通式典でくす玉を引いていた。


 帰宅後河野先生は 、家人や使用人に家はいつでも建てられる・・みんなケガがなくて良かったと話された・・


 その話を伺っときは。やはり大物は違うな・・と感じた・・


小生と河野一郎先生との出会いは一瞬でしたが、赤坂の料亭の玄関で挨拶をすると・指を見せてみな・・


名前を忘れたが<エリザベステーラー?>ハリウッドの女優と握手した時に、自分の指や爪の手入れが不十分だったので恥ずかしかった・・


 それ以降、小生は60歳くらいまで・指の手入れをして、甘皮を向いて<透明のマニキュア>を、していた・・


近年は、体調不良が<爪>に出るので、見やすくするのでやめました。


 先生は、死の床で<死んでたまるか>と言ったと伝えられ、<党人政治家の最期の言葉>として広くこれが信じられてきたが、
 河野洋平さんによると<大丈夫だ、死にはしない>という穏やかな言葉で家族を安心させようとしたのだという


70年頃・右翼の先生の事務所にお邪魔していた時に・先の放火の話題が出て先生や幹部が<河野一郎はけしからん>・真偽は不明だが・同席していた<野村秋介さん>が先走ったらしい・・


野村さんは、<三島由紀夫事件>でも同席していたり・・マスコミを賑わす数々の運動もされたが・・最後は朝日新聞本社で自決された。




×

非ログインユーザーとして返信する