⁂MR職人の戯言⁂

お母さんは命懸けであなたを産みました・この世に産んでくれてありがとう・
親を愛し尊敬するする者は人を憎むことは無い・親を慕うものは、人を毛嫌いすることは無い・
命はたった一つのもの・数えてはいけない・      

<恩師・NO3~伊藤郷一先生>


HPから抜粋すると・・
伊藤 郷一(いとう ごういち)・・1900年(明治33年)9月23日ー 1987年(昭和62年)9月8日


 1946年4月、第22回衆議院議員総選挙に北海道第二区から日本自由党所属で出馬し     当選・・衆議院議員を通算七期務めた


小生が伊藤先生に最初に、お会いしたのは、昭和41年2月・・勤務先の<大都リッチランド>の月例会の時でした。


 衆議院議員を、辞めて<大都の顧問>になり・・毎月の例会で訓話を、話されました。。
 時々しか出社されなかったが・・何故だか?小生にはよく声をかけてくれた。


 42年6月・・<新人教育>も終わり・・一段落・長女が誕生したのを機会に退職を決意・・至近に居住していた先生の自宅にお邪魔した。


 <同業の会社>に転職する予定なら・・この際応援するから<独立>したらどうだ・・
自分も5月末で辞任したので応援する・・


突然のことでびっくりした・転職を希望していた上司に相談すると・7人の仲間が集まった。


先生に<社長>をお願いして<栄光産業(株)>が発足・上野駅近くのビルで操業を・・。


先生は、東京帝国大学出身・・大学の教授を、努めたり・・優秀な方でしたが・・子供がそのまま大きくなった感じの<純粋無垢>な方でした・・


 ある日の夕方事務所に戻ると路上生活者と感じる服装の方と並んで<おむすび>を食べていた。


この人は昨日から何も食べていないというので気の毒だから連れてきてご馳走している。
一瞬と惑ったが、立派な先生だなと改めて見直した。


 10月末・小生を含む現場組と、管理職組が、営業手段をめぐり激しく対立した・・
最初に<旗>を挙げたのに・・我慢ができず飛び出すように退職した・・


 その時にいただいた<忠告の言葉>は、毎年手帳が変わるたびに50年近く書き写しています。


 余りにも褒めすぎですが・小生のの性格を的確に捉えているので<宝物>にしています。


 数年後・先生から・あの時に君の意見を採用していたら失敗しなかった。
<悪党・難波>に騙されて担保提供した自宅を、放棄して息子の世話になっている。


昭和62年新聞で、先生の亡くなられたことを知り・夜分大和市の自宅にお伺いした。


年中あなたの話を、していました・・最初に相談に来た若者を、信用しなかったのか・・
事務所でぶらぶらしている者たちに迷わされた。


*  剃刀のように切れるのは大変素晴らしいが。
     諸刃の剃刀は、自分もケガをする危険があるので注意しなさい



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